リラックスの落とし穴

 

そういえば小さいころから “リラックス” とやらが下手で、生来の氣質に因るところが大きいのだからと、そろそろ諦めていました。

ところが最近

 

リラックスするのが下手なのではなく

自身が使うリラックスという言葉の定義にどうやら問題があったらしい

 

と氣づいたのです。

 

リラックスと聞いて、具体的にどんなシーンを思い浮かべますか?

 

  • お風呂や温泉にゆったり浸かる。
  • エステやアロママッサージを受ける。
  • 南の島でひたすらボーッとする。
  • お気に入りのお茶とお菓子でまったりする。

 

いいですねぇ。

癒されそうですねぇ。

ところがどっこい私の場合、お風呂と温泉はセーフですが、他の3つではおそらくリラックスできません。

想像ではなく、実際に試して分かった自分向きのリラックス法は

  • ぬり絵。
  • 泳ぐ。
  • 踊る。

でした。

また、これは直観ですが「料理」も今後加わる氣がします。

 

どうやら、体のどこかを動かしている方が快適なようです。

リラックスより、むしろリフレッシュという言葉を使う方が自然なくらい…。

 

これまでは、何もしないでボーッとすることや、頭をカラッポにすることが、リラックスだと思っていました。

でも、そのイメージはどこから来たのでしょう?

テレビや雑誌やネットですよね。

だから必ずしも、すべての人に合うわけではない

万人に効く健康法がないのと一緒なんだぁって、しみじみ感じました。

 

リラックスとは、今に戻ってくることではないかと思います。

人間は少しでも時間があると、過去に問題の原因を探したり、未来に起こるかもしれない問題を心配したりして、思考をフル回転させています。

しかしそれは恐れという幻想との戦いなので、どれほど頑張っても答えが出ず、また終わりもなく、おまけに体の過緊張を強いられるため、考えれば考えるほど、病む方向へ進みます。

 

今にただ在ること。

自分の内と外が、今というポイントで調和すること。

 

その状態の連続が、自分という存在を健全で揺るぎないものにしてくれて、その土台があるから、他人や社会や世界へ心を開いて繋がっていけるような氣がするのです。

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